会社とは一種の刑務所である

声を大にして言いたい。だが、間違っても、大声では言えない。
そういう物事は、きっと誰もが抱えているだろう。
私がここで言いたいのも、そういった類の事だ。
この記事を読んで、不快になる方々もいるだろう。
だが一つ言っておきたいのは、私は以下の事を、世の中の会社員を否定あるいは批判するために書いている訳ではない。私は、怠慢や臆病さに甘んじて安易な道を選んだ自分自身を戒めるために書いているのだ。

 

では本題に移ろう。
私はここで主張したいのは「会社とは一種の刑務所に過ぎない」ということだ。

 

私は一介のサラリーマンである。
会社にいると、会社に対する不満を、嫌というほど耳にする。
給料が低い。やりがいがない。上司と合わない。残業が多い...
リストアップしていくと、キリがない。

私自身に会社に対する不満があるかと問われれば、
それは無論、あることにはある。
だが、会社が理想的な環境で無いことは当然だと私は思っている。
なぜなら「会社とは一種の刑務所に過ぎない」と考えているからだ。

 

刑務所とは、言わずもがなだが、罪を犯した人間が収容される場所だ。
囚人は、勿論刑務所に対する不満を抱いているだろう。
自由が無い。飯が不味い。看守が厳しい...
リストアップしていくと、キリがない。
だからといって、刑務所の環境を改善する必要がないのは当然だろう。
囚人が劣悪な環境で生活せざるを得ないのは、自らが犯した罪に対する罰であるためだ。囚人が、「もっと自由が欲しい」などと言うのはお門違いにも程がある。

私は、会社を監獄のように捉えている。
だから、会社員が会社に不満を垂れるのは、囚人が刑務所に不満を垂れるのと同様に、見当違いであると考えている。
「会社員は何も罪を犯してなどいない。だから、不自由を強いられるのはオカシイではないか」
そうおっしゃる方々もいるかもしれない。
確かに、会社員は法に触れるような罪を犯してきた訳ではない。
だが、仕事から"やりがい"や"精神的あるいは時間的な自由"を得るに値するだけの努力をしてきただろうか。本当にやりがいや自由が欲しかったならば、大学時代に (いや今からでも遅くないかもしれないが)、留学するなり、起業するなりすれば良い。
罪は無くとも、本当にやりたいことを実現するための行動に踏み切れない"臆病さ"や"怠慢"はあったはずだ。

 

会社とは、そういった"普通の人間"に、安定的・平均的な給与と社会的ステータスを与える装置である。あくまで、安定的・平均的な給与と社会的ステータスを保証するだけの装置であって、"自由"や"やりがい"を保証するものではない。
だから、会社員が仕事にやりがいを求めるのは、囚人が刑務所の飯に美味しさを求めるのに等しい。

 

サービス残業長時間労働の問題も、ここに起因すると私は考えている。
心理学の実験で、つまらない単純作業を被験者にやらせると、報酬がある場合よりも、無償でやった場合の方が、人々は快楽を感じる傾向にあることが分かっている。
つまりは、無償でやった仕事に対しては、「あの仕事は無償だったけれど、楽しかった。やる意味があった」と、脳が自分で自分を誤魔化すようにできているのだ。
日本の会社において、サービス残業長時間労働が無くならないのも、これと全く同じ仕組みによるだろう。本来やりがいなど全く無い仕事から、無理に快楽を引き出すために、無償で時間と労力を提供してしまうのだ。

 

だから、私は「会社とは一種の刑務所に過ぎない」という考えを布教したい。
それで人々の会社に対する不満が無くなる訳ではない。だが、会社がより生産的な場になることは間違いないと思う。

 

 

 

Written by Φ

 

森博嗣『やりがいのある仕事という幻想』は、もう4年ほど前に読んだ本だが、仕事に対する価値観を形成する上で、かなりの影響を受けたことは認める。

「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)