米津玄師「Flamingo」の魅力を、読書家が考察してみる

ここ最近、米津玄師「Flamingo」が脳内で無限ループしていて、困る。
職場で黙々とデスクワークをしていると、ふと頭の片隅から

「フラ、フラ、フラ、フラミンゴ~」

と米津ボイスが聞こえてくる。全く仕事に集中できやしない。
恐ろしやフラミンゴ。

 

この記事では、この「Flamingo」の中毒的な魅力について、個人的な考察を語りたい。

 

「Flamingo」の凄さには、大きく二つの要因があると思う。

一つ目の要因は、色んなジャンルの特徴を無理矢理一曲に詰め込んでいることだ。

ちょっと聞いただけでも、ロック、ファンク、ヒップホップ、ポップ、ダンスミュージック、電子音楽、民謡、演歌、ボイスパーカッション...etc、和洋問わず様々なジャンルの要素が詰め込まれていることが分かる。

私は音楽の専門家ではないが、それでもこれが簡単に出来ることじゃないことは判る。
小説に例えれば、純文学、ミステリ、SF、恋愛小説、歴史小説...等々の要素を、一冊の本に詰め込んで、なおかつ調和させるようなものだ。こんな作品は、夢野久作ドグラ・マグラドストエフスキーカラマーゾフの兄弟くらいしか思い浮かばない。逆に、これらの小説がなぜ傑作とされるのか、正直イマイチ解らなかったが、それは「Flamingo」的な凄さによるのかと、たった今納得した。

 

続いて、「Flamingo」の二つ目の凄さは、"マニアックな良さを一般受けさせる"ところにある。
一昨日書いた記事に、"マニアックなものの魅力を、一般人にも分かるように語ること"が面白さを生み出す秘訣である、といった趣旨のことを書いた。

「Flamingo」の中毒性も、まさにここにある。
現代の若者が聴く音楽ジャンルといったら、流行りのJ-POPかロックミュージックくらいだろう。音楽マニアでない限り、洋楽ヒップホップなど聴かない。ましてや、余程の物好きでなければ、演歌など聴きやしない。
「Flamingo」では、"ヒップホップの良さ"や"演歌の良さ"といったマニアックな良さを、あくまで一般受けするように、スパイス的にミックスしている。これがめちゃくちゃウマいのだ。

この"マニアックなものを一般受けさせる"という点で、思い浮かぶ小説家がいる。
伊坂幸太郎である。

伊坂幸太郎のインタビューを読むと、影響を受けた作家として、大江健三郎島田荘司を上げられている。

作家の読書道:第31回 伊坂 幸太郎さん

大江健三郎や島田宗次は、もちろん小説界ではビッグネームである。だが、両者の小説の魅力は、いずれもマニアックなものである。
ザ・純文学な大江健三郎の小説には、分かりやすい面白さがあるわけではない。真にその面白さを理解できるのは、純文学マニアくらいだろう。本格推理小説の大家たる島田荘司の作品は、まさにミステリマニア好みの作風である。

こういったマニアックな良さを取り入れて、誰もが楽しめるエンタメへと仕立て上げたところに、伊坂作品のヒットの要因があるだろう。米津作品もまた然りである。

 

以上より、「Flamingo」の中毒的な魅力は、
(1) 色んなジャンルの特徴を無理矢理一曲に詰め込んでいる
(2) マニアックな良さを一般受けさせている
の2点にあると、結論づけたい。

そんなこと、とっくに分かってるって?

ああああ、あ...はい。