【書評】落合陽一、猪瀬直樹著『ニッポン2021-2050』~理系が政治に興味を持つことの重要性~

 

ニッポン2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法

ニッポン2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法

 

 

 私は企業で研究職として働く、理系人間である。恐らく多くの理系人間がそうであるように、私は政治に全く興味が無い。
 いや、政治に興味が"無かった"と言い換えよう。『ニッポン2021-2050』を読み、研究者やエンジニア、プログラマといった理系人間が、政治に興味を持つことの重要性を気付かされたからだ。

 本書は、研究者・メディアアーティストの落合陽一氏と、作家・政治家の猪瀬直樹氏との共著である。共著とはいえ、対談形式では無い。「人口・産業」「風景」「統治構造」「人材」という4つのお題に対し、それぞれが自らの意見を述べる。

 同じ題材であっても、落合陽一氏の理系的・平成的な見解と、猪瀬直樹氏の文系的・昭和的な価値観とのギャップがよく分かる。二人の差異を対比する分には面白い。だが、正直なところ、お二人の論点・意見はそれほど噛み合っていない。共著によって、何かシナジー的な効果が生み出されているとは、残念ながら思えなかった。

 では、本書を読みながら、私が抱いた意見・感想を、4つのトピックごとに以下に記す。

1. 人口・産業

 落合氏の主張は、5Gやブロックチェーンといったテクノロジーを地方再生に活かすべきだということだ。それに対し、猪瀬氏の主張は...というと、自らの過去の政策、東京都職員の夕張への派遣や道路公団改革に関して、自画自賛するような内容だ。正直、2021-2050という未来につながるヒントを提示しているとは思えなかった。

 そもそも、"人口減少・少子高齢化"や"都市と地方との格差"は悪いことなのだろうか。世界的に見れば、"人口増大"こそが危惧すべきことだろう。むしろ、インドやアフリカで人口が爆発的に増大する一方で、日本のような先進国で人口が減少することは、トータルでバランスを取るという意味では、"良いこと"ともいえるのではないか。

 また、私は、人間の居住地域が都市に限定され、地方には人が住まずに田畑や自然が広がっている、という社会が理想的だと考えている。人の住む場所が都市に限定されれば、人や物を移動させる必要性が減るため、より効率的、かつ低環境負荷な社会になる。医療や教育といったサービスも、局所集中的に設置できるため、まんべんなくいきわたる。つまりは"地方と都市の格差"を究極的に推し進めれば、もはや格差など無くなるということだ。

2. 風景

 2020年の東京オリンピックを念頭に、何を"日本の風景"としてアピールすべきかを議論している。落合氏は、『ドラえもん』の世界こそ、日本人の原風景であるという。ただし、原風景としての『ドラえもん』は、高度経済成長期の昭和的な価値観を根強く反映している。だから、過去の原風景を打開するために、『ドラえもん』には無い、コンビニやショッピングモール、スマホといった新たな風景をアピールしていくことを提案している。

 対して猪瀬氏は、明治維新が日本の原風景の形成に果たした役割、皇居や新宿御苑といった空白が都心に存在することの特異性といった風景論を書かれている。が、やはり前章と同様に、猪瀬氏の明確なビジョンは見えてこない。結局何が言いたいのか良く分からなかった。うーん、私の読解力不足なのだろうか。

 風景の話題ではないが、落合先生が日本人の「拝金主義」について述べている点に共感した。私が思うに、日本人の「拝金主義」は、日本人が無宗教であることに起因している。人間とは、生きるために「宗教」を必要とするのだと私は思う。だからこそ、無宗教の日本人は、「お金を稼げば幸せになれる」という拝金主義を、無意識のうちに宗教の座に置いているのだ、と私は考えている。

3. 統治構造

 落合氏は政治家がテクノロジーを理解することの重要性を理解する。そうして、政治とテクノロジーとを組み合わせた概念として、"POLYTECH(ポリテック)"というキーワードを提示している。

 冒頭でも述べたように、理系人間である私は政治に全く興味がなかった。逆もまたしかりで、多くの政治家も科学やテクノロジーに関心を持っていないだろう。この科学・テクノロジーと政治との断絶が、日本の成長・問題解決を妨げていることに気付かされた。本章を読み、研究者である私が、政治に目を向けることの重要性に気付かされた。次の選挙は、ちゃんと行きます。

 ちなみに猪瀬氏の主張は、ルールに囚われるな。過去の民営化改革や原発事故の際の東電の処置を引き合いに出している。結局、これ全部、過去の話ですよね...。『ニッポン2021-2050』とは...

4. 人材

 落合氏は、これからの人材にとって重要となる資質として、「言語化する能力」や「論理力」、「専門力」に加え、「リスクを取る力」を挙げている。これは意外性があって面白い。この「リスクを取る力」、言い換えれば「外れ値を出すこと」の重要性に関する、落合氏のたとえ話がとても面白いので、ちょっと引用してみよう。

処理能力だけを売りにした官僚のような人々はAIが代替してくれる人材であるともいえます。リスクを取って、人と違うことが言える人。そういう人こそこれからの時代に重要です。喩えて言えば、天気予報は「寒い」でも、「オレは今日は絶対暑いと思って、薄着で来た」「オレは今日会う人に絶対受けると思ったから、あえて薄着をしてきた」といったリスクの取り方が出来る人材ですね。これはコンピュータに入力されていない情報の蓄積からしか出てこないと思うのです。

(p172より引用)

 常識・規則を律義に守り、試験勉強に強い。そんな秀才タイプは、AIが発達した時代においては、所詮"コンピュータの下位互換"にしかなりえない。これからは秀才タイプではなく、狂人・変人と紙一重の天才タイプこそが、ますます重要になる。時代の変化に全く追随できていない、今の旧態依然とした教育・受験システムは、果たしていつまで続くのだろうか。

 では、一方で猪瀬氏の意見はどうかというと...うん。"言語の力を磨き、自らのアイディアを問う「プランナー」に"って、意味わからんもん…

 

 

以上より、本書を読んだ感想を一言でまとめると、
「落合先生のパートだけ読めば良い」
である。心に残ったフレーズがあった個所は、ページのふちを折るようにしていたのだけれども、それらは全部、落合先生の書かれた部分であった。総じて猪瀬さんは、結局過去しか見ていない、という印象を受けた。